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第三十回 ゲーム業界 -活人研 KATSUNINKEN- 「指導者に問われるもの」

「指導者に問われるもの」

前回は、企画の仕事の一部について書かせていただきました。

もちろん、現在のようにゲームの規模が大きくなってきている今、企画の仕事はあれだけにとどまりません。ですが、どんなゲームをつくるときも、規模感にかかわらずおさえておかないといけないことに関しては、書かせていただけたと思っています。そんな中、学生さんたちが指導されているのを見たとき、また、わたしが、趣味の乗馬でインストラクターに指導を受けているときに、いろいろと思い浮かんだことがありました。今回は、

そもそも、指導する、というのはどういうことで、どんな資質が求められるか?

について書きたいと思います。

● 自身で評価できない


これは、プロになってもなかなか難しいことです。

このコラムでも、何度もいってきていますが、ゲームは正解のないものです。もちろん、技術に関しては、いくつかの正解があるでしょうし、開発者が面白くないな、と思っているものを世に出すのは不誠実でNGである、というような正解というよりは、不文律もあると思っています。ですが、面白さ1つとってもそうですし、ましてや、感情を動かす手法やその感情の種類や組み合わせも1つではありません。それどころか、日々、ゲームに関係する技術が進歩することにより、新たな遊びがどんどん生まれてきているというのが実情です。


なので、先取りして、どんどん、面白いことを考えないといけないですし、且つ、これまで生み出されてきたフレームに関しても研究して、うまく取り入れるべきところは取り入れないといけません。

過去に事例があるものは、その取り入れ方などで示唆をうけることもできますし、且つ、その整合性なども、比較的ロジカルに議論することができるでしょう。つまり、裏を返せば、自身で振り返り謙虚に見直すことである程度は、確認→修正できることがあるということです。


ですが、新たに考えたものや、既存のものを新たに組み合わせたときなどは、その事例自体が初物になるため、誰も成否を簡単にいうことはできません。それ以上に自身はそれに向けて客観的に評価する視座をもつことがなかなか難しくなります。なぜなら、比較する事例がないからです。(もしくは、あるのですけど、この面白さにからむところは、案外、みな調べが甘いことが多いです。自身で考えた!という自負を持ちたいからだと思いますけどね)こうなってくると、その是非まで行かなくても、指摘をもらう必要があります。そのために、必要なのが、第三者の目です。

指導者に求められる第一の条件は、現状をみて、視座を定めたうえでの評価をすることだと思います。指導者側が、あれもあるし、これもある、では受け止める側が、なにを聞いていいのか?わからなくなってしまいます。もちろん、あらかじめ「可能性をいくつかあげる」と言ったうえで、経験に基づいた事象をいくつかあげて可能性を示すことは、良いことだと思います。ただ、その異なる事象が、ことなる軸からのものであった場合、ちゃんと整理して伝えてあげないと受け止める側に混乱を与える可能性があります。

ゲームにおいては、なにをおいてもコンセプトを定めるところからスタートです。で、このコンセプトを設定するためにも、「点」でよいので、このゲームにおける面白いシーン、かっこいいシーン、感情が動くシーンを洗い出さなくてはいけません。中心軸にすえるべきものと、末端の現象でしかないものが玉石混交するのがこのタイミングでのイメージです。


特に、つくっている・考えている側はここが同時に頭にいくつも浮かぶために、整理が完全についていません。であるがゆえに、第三者がそこを整理して、「これは、こういう観点から考えているの?」というように、そのもの自体がその発想、アイデアにおいてどの位置にあるのか?を対話しつつ確認していかないといけません。フラッシュアイデアをおもいつき、それを1つ1つ作っていってもゲームにはなりません。


たいていの場合、そこを横串通すために、無理やり「ありがちなゲームに実装されている項目」をいれてつなごうとすることが多いのです。ただ、そうではないのです。(こうして、活人研、逆三種の神器が入ってくるわけです)コンセプトと紐づく、もっとも感情が動かされる情景が定まらない限りはなにをいくつつくったところで、点が線になることはありえません。ですが、繰り返しになりますが、考えている本人は比較的この1つ1つのアイデアの軽重や位置づけを整理するのが得意ではありません。なぜならば、それこそ作り手としての感情が入っているからです。自身の想いとそのゲームの事象の大切な部分がイコールとは限らないからですね。ですからこそ、客観的な第三者の目が必要になります。そして、その位置づけを把握、確認したうえで、指摘をしたいです。

つまり、表層をなでただけの指摘は、受け手側にかなり危険な情報を提供している可能性がある、ということです。これは、ふだんから接しておられる学校の先生に関しては、そこまでの経緯もご存じであることが多いと思うのでリスクは比較的少ないと思いますが、わたしをはじめ業界のプロがゲストで招かれて指摘、指導をするときがちょっとリスクがあります。経緯を知らないのはもちろんですが、伝える努力をかなり神経使ってしないといけないからです。


ゲームを作る能力と、指導する能力は異なります。また、プロから見た基準と学生がそのタームでクリアしなくてはいけない基準も異なります。なので、単なる自分の水準から、「単なるダメだし」をするだけで終わるのは非常に問題が多いと思います。



続きは Social Game Info さんにて掲載いただいております。

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